こんにちは。ビジネスマネジメント学部の「異彩を放つ男」、菅野です。
ゴールデンウィークが終わって、12月からインターン&アルバイトでお世話になった日本ファンドレイジング協会での勤務が終わりました。元の失業者に戻り、生活するための仕事探しに精を出す毎日です。
そのかわり、時間もたくさんできたので、いつにも増して本を読んでいます。ここ数日の間に、久しぶりに司馬遼太郎の歴史小説を引っ張りだして読みました。司馬遼太郎というと「坂の上の雲」や「龍馬がゆく」が有名で、日本人がイメージする坂本龍馬像は司馬遼太郎が作り上げたといっても過言ではありません。また、司馬史観という見方もあって、合理的で明晰な思考を持った人物たちを主人公とし描く作品が多い作家でもあります。
その中で、私が好きな作品のひとつ「峠」も読みました。
峠
この物語は、幕末の北越の譜代小藩に生まれた
河井継之助の半生を書いた歴史小説です。
彼は、幕府にも新政府軍にも組しない武装中立を目指し、独自の藩政改革を断行していきます。やがて、大政奉還・王政復古後、長岡にも官軍が迫り、小千谷会談での無条件即時恭順を要求する官軍との交渉に失敗した継之助は、自ら戦の指揮をとり官軍を散々苦しめます。一度は奪われた城を奪還するも、官軍の大反攻にあえなく負傷・敗走。会津に逃れる途中で亡くなります。
彼の死後、長岡を戦火に陥れた戦犯として、一部の人にはヒールとして扱われているという話もある人ですが、私から見れば、継之助の思想に時代の流れがついてこれなかったこと、あまりにも時代の流れが急速すぎたため継之助が対応できなかったことの両方を感じます。双方が時代の流れに沿うことができず、その乖離が悲劇を生んでしまったのだと感じます。彼のものの見方、考え方はとても的確であると思うし、素直で、可愛くて前向きな、とても気高く美しい男であったと感じます。
彼の青年期の生き方や考え方が自分の人生や理想にとても近いので、共感を持てました。「そういう生き方を自分もできたらいいなぁ」と何度も思いました。長岡から離れ、諸国を漫遊して、いろいろな人と出会いました。そこで、自分の思想と他の思想を比べ、自分の理想をより高めていったこと。どんなことがあっても自分の理想のために意思を曲げなかったこと。周りの人間や世相を冷静に分析すること、当時の日本としてはいち早く外国とのつながりを重要視し、また、情報収集の重要性をつかんでいたこと、弟子を取らないので有名な岡山・備中松山藩の山田方谷に人間的魅力で弟子入りをし、藩の財政再建で名を上げた方谷の思想を吸収していくことなど、これからの生き方ヒントになることがたくさん書かれていました。
ただし、最後は彼の自尊心が自分も周りの人をも苦しめる形になったのは残念でした。武士の世の終焉を予期しながら最後まで武士としての立場にこだわり、散っていったわけですが、「自分のエゴをどこで出して、どこで引くか」、「義をどこで発揮して、どこで妥協するか」ということも大事なのではないかと感じました。これが、現代で美しく生き抜く一つの考え方なのかもしれません。
タイトルの「峠」は、志を立てて、雪の三国峠を越えて長岡を旅立ち、死線をさまよいながら八十里峠を越えたことに由来するのだと思います。死期を予感した継之助は下僕に己の棺おけを作ることを命じ、
「八十里、腰抜け武士の越す峠」
という自嘲的な辞世の句を残し、この世を去っていくわけですが、武士としての潔さと、その部分をとてもそっけなく表現している部分も印象に残っています。
読書感想文でレポートを書いた本の著者、渡邉美樹氏が課題図書のなかで「歴史小説から人間の生き方を学ぼうと、徹底的に読みあさった」ということが書いてありましたが、「中でも『峠』は『聖書』『論語』に次ぎ、私の生き方に影響を与えたと言えるでしょう。幕末の時代に自分の生き方を貫き通した(主人公)河井継之助のような生き方を学びたい方に、ぜひ読んでいただきたいですね」といっています。なんとなくですが、渡邉氏の思想の良い所も悪い所もこの作品とダブるところがあります。
とはいっても、今、自分がここにいるきっかけを作ったのがこの作品ともいえます。辛かった時代に人に紹介されて読み出して、そこにでてくる人物をたどっていっていろいろな本を読んで考察をしているうちに自分の生き方を見つけることができました。
そのほか、私がよく読む司馬作品として、
「俄」と
「新史太閤記」を挙げておきます。
posted by 社会起業大学 学生 at 00:00|
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